a flow er

あっちとこっち、そっちとこっち。

思い出したくて考えたこと

最近になってひとり暮らしを始めた同期がいる。話すと面白いのだけれど、基本的に表情が変わらずクールなので、漢字一文字で表すとしたら「無」だな、と個人的にひっそり思っている。そんな同期に、「どうなん生活の調子〜」と茶化し気味に聞いてみた。ひとりでもなんでも構わず過ごしていそうだし、だいたい、何を聞いても、「いや、ようわからん」みたいな返しをされるので(まあ、くだらない内容が多いからかもしれない)、今回もそんなもんかなと思っていたのだけれど、「実家にいたときもひとり部屋でゴロゴロしてんけど、ひとりの家でゴロゴロしてるとなんかなあ。なんかちゃうんよなあ〜」と返ってきて、予想外のこたえに思わず笑ってしまった。

ホームシックかと聞くと、それとはまた違うと言う。ホームシックではないが、「なんかこう、なんか変」らしい。「自分もそうだったんちゃうん」と聞かれて、はっとした。というか、うーん、そうだったかな?そうだった気がするけど、どうだっけ…と、のろのろと当時の記憶を辿った。「うんうんわかる」と相槌を打ちつつ記憶を辿ったが、ひとり暮らしを始めた頃のそういった身体的な感覚は、記憶として残っていなかった。でも、絶対にその「なんか変」な感覚を、わたしも同じく体験したに違いなかった。

 

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ひとり暮らしを始めたあたりから、家でよく音楽を聴くようになった。 イヤフォンではなく、スピーカーに繋いで。音楽を聴くなんて、それまではあまりしない行為だった。たぶんあの頃、その「なんか変」な感覚のなかにいたのだ。ただ、そのときはその「なんか変」な感覚から逃れたくて、慣れない空間を音で埋めてしまった。もはや、推測でしかないけれど。音楽を聴くことで逃れてしまった、というのもあるけれど、ひとり暮らしを始めるにあたっての不安と恐怖が、「なんか変」な感覚よりも遥かに大きかったのだ、とも思う。

社会人になる手前の春先、入社予定の会社から縁もゆかりもない土地への赴任辞令を受けた。それにより、大学を卒業するのと同時にわたしのひとり暮らしが始まってしまう。お金がないことと近くに知り合いがいないことは、当時のわたしにとっては重大な恐怖だった。大袈裟にきこえるかもしれないけれど、本当に、生きていけないと思った(今でもたまに思うけれどまあ、大雑把ながらもひとり暮らしを二年ほど続けてこられたしどうにかなるでしょ、と数十秒で立ち直ることができる)。あの頃の思考と感情と風景とは、未だにふと思い出されるし、思い出してはきゅうっと、心臓が摘まれたような切なさを覚える。

 

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思考の記憶はあるのに、身体的な感覚の記憶についてはどうにも思い出すことができない。初めての経験からもたらされる感覚。あの「なんか変」な感覚を味わうことを、わたしはもう、記憶のなかでさえできないのだと思うと、とても惜しい。ただ、こうして今、ひとり家でゴロゴロしながら音楽を聴いているのは、ひとり暮らしを始めた頃、わたしも「なんか変」な感覚に陥ったことが起因となっているのだ。そんなことを考えていたら、不意に残されてしまったこの習慣がちょっとだけ特別なものに思えてきて、ポップな音楽を聴きながら、ひとりしんみりしてしまったのだった。